平野啓一郎「『金閣寺』論」(『群像』12月号)

 平野啓一郎ということで、読んでみた。
 三島由紀夫は全集刊行といい、割腹自殺後35年といい、なんとなく盛り上がっているわけで、だけど、意外とちゃんとした作品論は出てこなかったなぁと思っていたんで、タイミングとしてもちょうど良かったかも。
 とはいえ、過去の三島論を読んでない人間としては、この平野啓一郎の評論が過去のものと比べて斬新なのかどうかはまったくわからない。けれども、『金閣寺』論としては、結構オーソドックスなものなんじゃないだろうかとは思う。そして、たいていの人が触れざるを得ない割腹自殺との関連性においてもやっぱりオーソドックスに終わっているんじゃないかと思う。だから、別に平野啓一郎が書かなくてもいいんじゃないかと思う。というか、平野啓一郎って書かれてなければ、彼が書いたとは思えない。それぐらいふつうの評論だった。
 まぁ、平野啓一郎が書き手の側にいる分だけ、作品と創作ノートとの関連についてだとかの選り分けに関しては何かと利があるのかもしれない。でも、やっぱりオーソドックスな面が強く印象に残った。