津島佑子『ナラ・レポート』

 母と子の物語、ナラという土地の物語が現代と中世という時代をこえて錯綜し、死者との交信が行われる。
 母子の物語としてふつうに楽しめ、そのなかに中世の物語が含まれてくるのでそのような形式性や文体を吟味することも可能だろう。
 いずれにしても、私は楽しめた。

 クリティカルな批評は高橋源一郎伊藤比呂美のモノかなと思う。

 子どもの「死」は、歴史に記載されない。そして、子どもの「死」をほんとうに悲しむのは「母」だけだ。だが、「死者」とは、いつも歴史から消し去られるだけの存在ではないか。だとするなら、「死者」を葬ることができるのは、結局「母」だけでないのか。そのことに気づいた瞬間、この「母と子の物語」は、歴史を取り戻したいと、「死者」の声を聞きたいと願う、すべての読者に接続する。ぼくたちは、みんな、未来の「死んだ子ども」なのだ。
http://book.asahi.com/review/index.php?info=d&no=6801

 この「現代小説」の中にあらわれてくる、産む性ではなく、失った子を悼む、悼みつづける性としての母。それは、けっして中世の語り物などにあらわれてくる意識ではないのです。死んでるものと生きてるものが錯綜しあう。人間と動物も錯綜しあう。その中で、生きることを放り出しても執着する。おびただしい人々が喜怒哀楽を表現しつつ、錯綜して、生きていく。その中で執着する。子に、執着する。亡きものに、執着する。それがわたしであり、わたしたちであります。
http://www.bunshun.co.jp/yonda/nara/nara.htm